2025年1月17日金曜日

あれから30年

 

1995年1月17日

早朝 大きな揺れで たたきおこされた

 

テレビは 京都駅前ビルだけ 写した

当初 神戸の映像は 無く

 

震災の大きさが わからなかった

 

我が家は 少しの被害だけだった

2度目の大きな余震のあと 少し落ち着いた

 

京阪電車が動いている どうにか 出社した

8階のオフィスは グチャグチャだった

 

床に落ちていた テレビを つけながら 

今後の対策と 片付けを

 

神戸が写り 震災の ひどさを知った

(管理人作画)



電話が鳴る 出るのが遅いと 叱られる

テレビを見よ!と 何度も 言っては 切る

 

関西以外に ひどさが 伝わっていなかった

霞が関にも・・・

 

人事部に 対策本部ができ 顔を出す

 

各部署 責任者の判断で 

被災者に 出来る限りの 支援をせよ!

 

費用は 後日清算(いい会社だ!)

 

若者達が 必要なモノ 思いつくだけ 

担いで 現地へ 出発してくれた

 

被災者の 受け入れ準備

空き社宅の掃除 生活必需品の購入・・・

 

大阪枚方の実家は 被害少なく 

両親は 気丈に 心配するなと

 

自宅では 同居の 義母が

一人で 寝られないと 

四畳半に 妻と川の字で 数か月

 

あれから30年

 

震災の 怖さと 人のやさしさ

忘れないようにしたい

 

「生きてるだけで丸儲け」 

明石家さんまの言葉 


ホンマ そう思う

 

犠牲者の方に 合掌

 

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