1995年1月17日
早朝 大きな揺れで たたきおこされた
テレビは 京都駅前ビルだけ 写した
当初 神戸の映像は 無く
震災の大きさが わからなかった
我が家は 少しの被害だけだった
2度目の大きな余震のあと 少し落ち着いた
京阪電車が動いている どうにか 出社した
8階のオフィスは グチャグチャだった
床に落ちていた テレビを つけながら
今後の対策と 片付けを
神戸が写り 震災の ひどさを知った
(管理人作画)
電話が鳴る 出るのが遅いと 叱られる
テレビを見よ!と 何度も 言っては 切る
関西以外に ひどさが 伝わっていなかった
霞が関にも・・・
人事部に 対策本部ができ 顔を出す
各部署 責任者の判断で
被災者に 出来る限りの 支援をせよ!
費用は 後日清算(いい会社だ!)
若者達が 必要なモノ 思いつくだけ
担いで 現地へ 出発してくれた
被災者の 受け入れ準備
空き社宅の掃除 生活必需品の購入・・・
大阪枚方の実家は 被害少なく
両親は 気丈に 心配するなと
自宅では 同居の 義母が
一人で 寝られないと
四畳半に 妻と川の字で 数か月
あれから30年
震災の 怖さと 人のやさしさ
忘れないようにしたい
「生きてるだけで丸儲け」
明石家さんまの言葉
ホンマ そう思う
犠牲者の方に 合掌
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