非常勤をしている大学に行くのに、千林駅から商店街を抜けていく。
駅前には今も薬屋さんが営業している。その駅前の薬屋を見ながら
オッサンは“主婦の店ダイエー”を思い出す。

中内功さんは、1957年京阪沿線の千林駅前に「主婦の店ダイエー」を開業 、薬の安売りを始めたが、近くのヒグチ薬局との安売り競争になって、疲れきっていた。
友人から「駄菓子も売れば」と言われて扱い始めた。
当時は量り売り、注文を聞いてから、袋に入れる。
量り売りするときは、200グラムの注文を受けて、180グラム位入れてから、「まけときまっさ」と加えて205グラムにする。
大阪人は“引き算”嫌い! 210グラムから200グラムにされたら
損した気に、10グラムくらいまけとけや!と、ケチな店の評判が・・・。
“足し算”の量り売りの「知恵」を知り、駄菓子の売り上げは好調だった。
でも、夕方に客が集中する。昼間はヒマ。
考えたのが、事前の袋詰め。 すなわち商店による「商品化」。
この発想が、今どこスーパーでも当たり前に売られている「パック」に。

どんな仕事も「まず窮せよ!」といわれたことがある。
なにごとも困り苦しむと「知恵」が出ますな。 それを事業に出来るか?
中内さんは、スーパーダイエーを、日本一の小売業までに されたこと
そして今・・・。 既に皆さんご存知の通り。
千林駅前の薬屋を見ながら、寂しい思いを感じるのは
その時代を知っている、アラカン以上の昔の若人だけ?
今晩は久しぶりに京阪沿線で酒を飲む・・・。 ご支援も宜しく。